ワタシが好きな書物の中でも人生の指針として
都度都度参考にしてる随筆『徒然草』。
鎌倉後期に吉田兼好によって綴られた本作は序段を含めて
全243段からなり、日本三大随筆の一つと評されています。
残りの2つは・・・わかりますよね? はいそこ!頭かしげない!w
清少納言『枕草子』鴨長明『方丈記』です、ここテストに出ます!
閑話休題。
第52段に記されたのは表題にある『仁和寺にある法師』
京都の仁和寺に暮らしているお坊様、お年を召すまで京都 石清水八幡宮を
お参りしたことがないことを情けなく思われて、ある時一念発起して
一人約17㎞の道のりを徒歩で参拝する。
麓にある極楽寺や高良神社をお参りしたのだが、これだけかと思って
仁和寺に帰ってしまった。
帰宅後、仲間に『長年の目的をやっと果たせました、聞いていた以上に
尊い様子でいらっしゃいました、。
それにしても、参拝者が皆山を登って行ったのは、何事かあったのでしょうか?
神に参拝するのが本来の目的なので山の上までは見ませんでした』と語った。
実は石清水八幡宮本殿はこの男山の山頂約20分ほどのところにあり
麓まで行きながら本殿をお参りせずに帰ってきてしまったのでした。
吉田兼好はこの仁和寺にほど近いところに庵を構え、日頃から法師たちと
交流していて見聞きした話をいくつか綴っています。
この話を聞いて『本殿は山頂でした、残念~!』(古いよ
といったかどうかは知りませんがw
兼好法師は最後にこう綴ります。
『少しのことにも、先達はあらまほしきことなり』
些細なことでも案内人(や指導者)はあってほしいものである。
要は、『ちゃんと調べてから行けよな ハァ…( ;-ω-)=3』
仁和寺に務める法師というのは現代で言うところの超エリートです。
そんな高僧でもおっちょこちょいな失敗をしてしまう。
思い込みや知ったかぶりで事の本質を見失うのは
非常にもったいないことなんですよ。
それは年をとっても変わらぬことですねとそう説いているように
受け取れるのはワタシだけかも知れませんが(^^;。
ちなみに徒然草は中学の教科書に登場します。
コレ知らないと日本人としてちょっと恥ずかしいんじゃないかと・・・w