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それこそ昔は優秀な人、家柄が良い人、お金のある人が学ぶ場所が大学だったので、大卒という資格は一定の教養やバックグラウンドを担保していました。
しかし、大学全入時代と言われる今はどうでしょうか。
正直、昔ほどの価値やメリットは無くなっているのではないでしょうか。
今回の記事は「『大卒』という資格がたぶん価値をなくしていくと思う話」という内容です。
もっというと数年後には「大卒って意味なかったよね」ってなるよ、という内容です。
詳しく見ていきましょう。
そもそも大卒という資格が、資格としての価値を持っていたのは、
大卒が一定の教養やバックグラウンドを担保していたからです。
というのも、大学で学ぶことのできる人は限られていましたよね。
・学業において優秀な人
・家柄が良い人
・お金のある人
戦前・戦後の時代はこんな人たちだけが学ぶ場所が大学でした。
そうすると必然的に大学で学べる人は人口と比べれば一握りでしたし、
大卒という資格は一定の教養やバックグラウンドを担保していました。
しかし、大学全入時代と言われる現代は、基本的には望めば大学には全員入れる時代ですよね。
そうすると「大卒」という資格は昔ほど教養やバックグラウンドを担保するものではなくなったといえますね。
つまり、もはや当初のメリットや価値はもはやないわけですよ。
就活における大卒の価値
多くの人が大学に行く理由は、やはり就活じゃないでしょうか。
実際、募集要項に「四年制大学卒業」としている企業は少なくありません。
つまり「大卒」の価値は、本来の価値やメリットを失くした単なる「就活」のための道具になっている。
表現は非常にトゲがあって申し訳無いのですが、実質的にはそうなっているということです。
ただ、少子化で超売り手市場のなか、
「大学生をとりあうより高校生を取るのもあり」というような変化も起こる可能性は十分にあり得ます。
優秀大学の青田買いがあるくらいなのでこれは十分に有りえるかと。
大学に入ったからと言って社会で役に立つことを学べるかといえばそうでもなく、
特に文系は「人生の夏休み」なんて言われてるくらいなので大卒を採用することの実質的なメリットはあんまり大きくはないように思います。
だったら企業にとって、わざわざ4年間待ってまで大卒を採用するメリットって極めて薄いのではないでしょうか。
大学全入時代において、なんの差別化にもならない4年になんの意味があるのか、と考えるわけですよ。
優秀なら高校生でも採用され、バカなら大卒でも採用されない、というような
ポテンシャルの面での平等な社会が訪れた場合、大卒の資格は意味をなさないでしょうね。
とはいえ、やはり高卒や大学中退となると社会の目も数段厳しくなるでしょうし、給与の面でも差が出るのも事実ですよね。
大卒という資格が実質的な意味をなさなくなるとはいえ、周囲の目や社会的信用という面では簡単に「意味がない」と言えないのも事実です。
事実は事実なのですが、一つ言いたいのが常識だから正しいかといえばそうではないということ。
そもそも常識って、その場にいる大多数が抱いている「なんとなくこうだよね?」っていう観念みたいなものですから正直いって信用なりません。
文化や風習だって5年もすれば大きく変わり、現に3年前までは胡散臭がられていたYouTuberは職業として成り立っています。
他にも言葉の意味や使い方だって大多数の誤用によって変わってます。
・うがった見方
本来は「本質を突いた見方」という意味だったが「ひねくれた見方」に変化
・爆笑
本来は「大勢が笑う」という意味だったが「大声で笑う」に変化
・的を得た表現
正しくは「的を射た表現」。的を手に入れてどうする。
これらすべて、誤用が広がったことにより「それでもいいよ」となった言葉たちです。
「的を得る」とか勘弁してくれって思いますけどね。
しかし、こんな具合で、常識なんてものはぼんやりしたものです。
「おはぐろ」や「ちょんまげ」を見返してもそうですよね。
周囲の視線や評判なんて移り変わりが激しいですし、それを気にするの本当にコスパが悪いのですよ。
むしろ「画一化されたもの」になんの価値もなくなりつつある現代で
「常識が〜」なんて言ってたらおしまいだってことです。
今回は「『大卒』という資格が本質的なに価値がなくなる」というテーマで書いてみました。
もちろん今日明日で劇的に変わることではないでしょうけど、
数年単位でみれば確実に大卒の価値はなくなっていくでしょう。
それは価値観の浸透には時間がかかるからです。
ここで注意しなければいけないのが
「学歴がいらない=勉強もいらない」というわけではない
ということ。
繰り返しですが、優秀なら高校生でも採用され、バカなら大卒でも採用されない、というポテンシャルの面での平等になるだけなので
自分の市場価格を担保しうるスキルなどの習得は欠かせないのですよ。
つまり「働かなくていい時代」が来ても教養がなければ結局は”奴隷”だということ。
AIをはじめとした技術革新によって、従来の社会構造が大きく変わってきています。
波にのまれないよう必死にもがいていきたいですね。
最後にホリエモン氏の本から一部を紹介しておしまいにします。
もしAIに脅威を感じるなら、AIのことを正しく学び、
現在の知見から人間社会に何をもたらそうとしているかを自分なりに考えてみるべきだ。
火を怖がったサルみたいに、テクノロジーの前で怯えているだけでは何も解決しない。
来るべきAI社会と、自分がどう向き合っていくのかを真剣に考えてみてほしい。
そうでなければあっという間に”AIに奪われる側”になってしまうだろう。
堀江貴文 『僕たちはもう働かなくていい』より