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「アパレル業界が苦境に陥っているのは、『消費者の価値観の変化に負けた』から。いまや女性は、『憧れのモデルが着る高いブランド服』を欲しがらなくなり、等身大の服を求めるようになっている。
さらに言えば、最近は、限られたおカネを本当に遣いたいものだけに遣う人も増え、それ以外の支出はなるべく抑える傾向が強まっています。こうした人には、服は『最低限でいい』『どうでもいい』ものなのかもしれません」(流通専門誌『2020ValueCreator』編集長の田口香世氏)
アパレル企業、とくに百貨店に店舗を展開する企業は、経験したことのない苦境に喘いでいる。'91年から'13年の間に市場は15.3兆円から10.5兆円まで縮小。
かつて「作れば売れる」と言われた百貨店系ブランドを展開する企業の業績は凋落、大手4社(オンワードHD、三陽商会、TSI
HD、ワールド)の'15年度の売上高の合計約8000億円は、前年に比べて実に1割も低下している。まさに業界全体が「死に向かっている」のは明らかだ。
こうした状況は多くの人の関心を引きつけ、今年5月に上梓された『誰がアパレルを殺すのか』(日経BP社)は大きな話題を呼んでいる。
なぜアパレル業界は「死」に追いこまれたのか――それは、劇的な消費者の価値観の変化に、企業がついて行けず、近視眼的な対応を繰り返した結果だった。
大きく変わったのは、女性の消費行動だ。小島ファッションマーケティング代表の小島健輔氏は、ブティックを経営する家に育ち、40年にわたってアパレル業界の盛衰を見てきた人物だが、いままさに、衣服に対する消費者の感覚の変化を強く感じているという。
「アパレルの市場を中心的に支えていたのは女性ですが、景気の悪化もあって、彼女たちが社会に出て共働き化が進んだ。その結果、彼女たちは、働いたり、普段の生活をするための服しか買わなくなった。
ビジネスカジュアルならZARA、パート勤務ならH&Mでいいという具合です。
彼女たちは『着飾る文化』から離れ、服は『ファッション』から『生活用品』に変わった。これが、アパレル苦境のいちばん大きな要因だと思います」
日本人は、高い服を着る欲求を失った――こうした傾向は、数字にも明確に表れている。マーケッターの三浦展氏が解説する。
「単身世帯の若い女性の消費項目を見てみるとハッキリします。'02~'13年の家計の5年毎の平均値を取ると、最初の5年から直近の5年までにスカートに遣う年額は約1万2000円から約6000円に、シャツは約3万8000円から約2万3000円に落ちている」
若い世代ではさらに「服離れ」が顕著だ。'05年までワールドの総合企画部長を務めたコンサルタントの北村禎宏氏はこう分析する。
「インスタグラム(写真共有サイト)に自分の生活を投稿するなど、SNSでアイデンティティを表現でき、もはや服でアピールする必要がなくなりつつあるのかもしれません。服を買うとは、情報を消費すること。同じ情報を扱うインターネットで、精神が満たされている側面があると思う」
銀座の中央通りに、オンワードHDが展開するブランド「23区」の路面店、そして三陽商会のブランドが入ったSANYO GINZA TOWERがある。
8月中旬の日曜の午後、二つの店舗で買い物をしているのは、中国や東南アジアからの数人のインバウンド客だけ。店を訪れた日本人客はわずかだった。
女性だけではない。男性にとっても、服は「生活用品」になっている。証券アナリストの佐々木加奈氏も言う。
「男性アパレルでとくに落ち込みが激しいのはスーツ系の製品です。これは低価格のブランドの影響というより、需要そのものの減少と言えます。
この10年で、契約社員やフリーランスなど服装に縛られることなく働く人が増えたうえ、企業も『クールビズ』や『カジュアルフライデー』を推進し、スーツを着ないよう指導しているためです」
5~9月、つまり1年の3分の1以上はネクタイも上着もいらない。前出の三浦氏によれば、単身男性の家計では、実際それらへの支出が減少傾向にある。
「単身の男性の家計で代わりに増えているのは、インテリアや健康食品、傷害保険など。インテリアはおそらく、快眠枕や腰痛に効く布団などでしょう。
バブル期のように、ブランド品を恋人にプレゼントして……という華美な消費は縮小し、『予防的』な消費が中心になってきているように思います。服や靴もスポーツ用の機能的なものが人気です」(前出・三浦氏)
服にカネをかけるくらいなら、ゆっくり体を休め、将来に備えるために出費したい。もし服を買うなら、動きやすく、機能性が高いものがいちばんだ――。
しかし、消費者のこうした変化に、企業側はついていけなかった。それどころか、消費者の「服離れ」に拍車をかけた側面もある。中途半端な価格と品質の製品を大量に供給し、消費者から購買意欲を奪っていった。
前出『誰がアパレルを殺すのか』の著者の一人、杉原淳一氏はこう話す。
「'90年代にバブルが崩壊し、ものが売れなくなりファストファッションが台頭する中、アパレル各社は目先の売り上げを立てようと、生産拠点を中国に移し、大量生産でコストカットを図ってきました。
国内のマーケットは縮小しているにもかかわらず、製品の品質には目をつぶり、過剰に製品を供給することで生き延びようとしたのです。しかし、それがいま自らの首を絞めている」
まず、消費者が求めている「機能性」という点では、アパレル会社が提供する製品の生地の素材や繊維の質は落ちている。前出の北村氏が言う。
「'90年代初め、アパレル企業は高コスト体質を指摘され、『売れ筋だけを売る』路線を選びました。売れ筋をリアルタイムで製造の部門に伝え、製品のラインナップを柔軟に変えるクイックレスポンス(QR)が重視された。
一時はうまくいきましたが、この方法は、『いまある素材』をもとに短納期で服を作るという性質を持ちます。徐々に、素材の質は低下し、生地はおもちゃのようにペラペラですぐにへたってしまうものが増えていった」
追い打ちをかけたのがユニクロだ。ファッションジャーナリストの南充浩氏も言う。
「'98年にユニクロのフリースが爆発的に売れた。当時、ワールドやオンワードの経営幹部に会うと口を揃えて『ユニクロはすごい』『これからは低価格路線だ』とコストカットに躍起になっていた。
皮肉な話ですが、トレンドに敏感なアパレルの経営者は、経営の流行にも流されやすい。低価格路線に乗ろうと、スケールメリットを追求しつつ、縫製や素材にかけるカネを減らし、品質は低下していきました」
デザインの面でも質は落ちていった。前出の北村氏によれば、かつてワールドの社内では、「女帝」のようなデザイナーやパタンナーが肩で風を切って歩き、尊敬を集めていたというが、短期的に売り上げを立てることのできない彼らは、「コスト」と見なされるようになる。
「彼らの肩身が狭くなり、ひとり、またひとりと、数が減っていくのを目の当たりにしました」(前出・北村氏)
さらに、これは皮肉な結果をもたらす。辞めていったデザイナーたちは、独立してOEM(受託製造)メーカーを立ち上げ始め、彼らが低価格ブランドのデザインを請け負うようになったのだ。低価格帯のデザインクオリティは上がり、百貨店ブランドと遜色ないものになっていく。
しかも「ユニクロは、繊維のレベルから原料メーカーとともに研究を行うなど、品質管理と在庫管理を徹底し、安く、高品質を実現した」(百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏)。
一方、大手アパレル企業には、OEMメーカーに企画、生産を丸投げするところが出てくる。品質の差は、見る間に縮んだ。
「'90年代に入るまでは、百貨店のブランド服と低価格帯の服には圧倒的な見た目の差がありました。スーパーで買ったジーンズを穿いた後に、7000円のリーバイスを穿くと、そのカッコよさに感動したものです。
しかし、いまや低価格のブランドと、百貨店の服は、値段の差の割には品質の差が小さい。それで百貨店ブランドの服が売れ続けるほうがおかしいと思います」(前出・南氏)
アパレルがとった「コストカット」の道は、現在、おそるべき段階にまで行きついている。アパレル社員が嘆く。
「現在の『丸投げ』ぶりは尋常ではありません。社員がOEMメーカーを訪れ、『ウチのブランドに合うデザインを、来週までに20パターン作ってきて。その中から5つを選んで出すので』と言い残して去ることもある。もちろんそうして作られた製品は、素材も十分に吟味されていない」
別の社員も言う。
「他社のブランドで売れているものがあると聞けば、その店舗まで行ってデジカメでこっそりその製品を撮影し、写真をメールに添付してOEMに送って『これと同じものを作ってください』と指示することもあります」
百貨店ブランドの服の品質は下がり、ユニクロより少しいいというくらい。しかし、それにしては価格が高い。
高級ブランドの代名詞であるエルメスが、'16年、日本での売り上げを20%も伸ばしているのを見れば、百貨店ブランドの中途半端さこそが、消費者を遠ざけていると言える。
そもそも社会の趨勢として服を買う意欲が下がったところに、中途半端な価格で中途半端な品質のものが出されても買う気にはならない。
もはや百貨店のアパレル売り場にはワクワクしない。最低限に必要なものを買うのならば、掌の上のスマホで十分だ。前出の三浦氏が言う。
「忙しくなって、百貨店でゆっくりと店舗を回っている余裕がない女性にとって『ZOZOTOWN』などのファッション通販サイトで、膨大な量の衣服を回覧できるのは魅力的です。
さらに、中古製品の売買ができる『メルカリ』で服を買うケースも増えています。ますます百貨店から足は遠のいていくでしょう」
'60年代に花開いた日本のアパレルという文化は、いまその「終焉」に直面している。