正解者が出たので解説していきますw
あやせさんがおっしゃった通り、新幹線の駅で詩を書きましたw
駅名縛りで詩や意味のある言葉を作れないものかと考えたのですw
「いい日旅立ち~博士の一生」
(いい日旅立ちは、JR西日本の新幹線のCMソング。車内チャイムでも使われています)
(博多)士の一生
(小倉)さい頃は不憫だった彼は
(新下関)着のまま通りに捨てられていたところを
(厚狭)い上着を着せてくれた老人がいた
(新山口)寺で修業をしていた
(徳山)の高い僧侶だった
(新岩国)の上で座禅を組むことで有名だった
(広島)い心を持った彼は
(東広島)の国に旅に出て
(三原)本に分かれた
(新尾道)を持つ狐と出会った
(福山)を得られると思っていたら魔物だった
(新倉敷)の中から逃げ出した彼は
(岡山)の上に近づかないように人々に伝えたが
(相生)手にしてくれない人ばかりだったが
(姫路)君だけが親身になってくれた
(西明石)の国に旅に出直したところ
(新神戸)として急に崇められ
(新大阪)先生となって現在は博士である
「勇者となって、会いにいこう!」
(会いにいこう!は、JR東海の新幹線CMソング。車内チャイムに使用されています。勇者となっては、旧CMソングで旧車内チャイムに使用されていた。Ambitious Japanの歌詞をもじったものです)
(新大阪)きな剣を携えた勇者が
(京都)の都から旅立った
(米原)の握り飯を食べ食べ旅路を進むと
(岐阜羽島)路に差し掛かった
(名古屋)将が使ったと言われる鎧を持って行くか
(三河安城)種の神器と言われる腕輪を持って行くかだった
(豊橋)かな経験を持つ彼は後者を手に取り旅を続けた
(浜松)辺でその腕輪を掲げると海の真ん中に虹の橋が
(掛川)かったのだった
(静岡)かに彼はその橋を渡り魔の島に辿り着いた
(新富士)も名誉も関係なしに勇気のみが必要だった
(三島)種の神器をもう一つ手に入れるため
(熱海)い溶岩の掘を飛び越え魔王の城に乗り込んだ
(小田原)さな勾玉を持つ魔王と剣を交え勇者は勝利し
(新横浜)の牢獄に閉じ込められた姫も助け出した
(品川)のある姫の手には最後の神器のロザリオが握られていた
(東京)の王国に勇者一行は辿り着き彼らは伝説となった
「浦島太郎~あべへ竜宮城」
(あべへは、東北弁で「行こうよ」です。また東北新幹線の車内チャイムには原曲が無い為曲名がありません(厳密に言うとTR11という曲名です))
(東京)の果てのある国の物語
(上野)から甲羅を踏んだり棒で突いたり
(大宮)きな亀を子供達がいじめていた
(小山)さな子供の頭を撫でると
(宇都宮)宙の石をあげ亀を助けた太郎は竜宮城に行くことに
(那須塩原)由多の数の魚が周囲を泳いでいく
(新白河)い泡に包まれた太郎は水の中でも苦しくない
(郡山)内織の様な柄の魚とすれ違ったら
(福島)音の様な歌声が聞こえてきた
(白石蔵王)い竜宮城の建物にやって来たのだった
(仙台)人の権化として長く生き続けた大きな亀は
(古川)くからの乙姫の良き仲だった
(くりこま高原)るくると舞を踊り乙姫は太郎をもてなした
(一ノ関)日、また一日と太郎は時を忘れて
(水沢江刺)の世界である竜宮城で過ごしてしまった
(北上)風の寒さもない優雅で快適な所だったが
(新花巻)が水の中に無いことで太郎は故郷が恋しくなった
(盛岡)り沢山の楽しさもそろそろかと帰ることにした
(いわて沼宮内)きなりの太郎の帰りに乙姫は玉手箱を渡し
(二戸)度とここには来れないことと玉手箱を開けてはいけないことを告げ太郎は陸に帰って行った
(八戸)十年の時が竜宮城にいる間に過ぎていた
(七戸十和田)日間ほどのことだと思っていたのに
(新青森)い海を覗き込むも太郎はもうひとりぼっち
(奥津軽いまべつ)にしまいこんでいた玉手箱を取り出す
(木古内)の蓋に手を掛け太郎は函を開けた
(新函館北斗)を開けると白い煙が立ち上り太郎は老人の姿になってしまったのだった
東北新幹線は難しい漢字の駅が多くて、漢和辞典をググりながら作ったところも多々ありです。
この調子で延伸して北海道内まで伸びたら、アイヌ語をベースにした駅名が増えて、難しいかもですね。
倶知安の倶とか、何の単語があるだろうってなりますし、札幌の札も、札を使う語って・・・札束ぐらいしかない気が・・・。
なわけで、山陽新幹線、東海道新幹線、東北新幹線の駅の頭文字で作ったのです。
しかし、東北新幹線の駅で、浦島太郎って作れるんだなー・・・自分で作っててそう感じました。
なんか駅名見ていると、浦島太郎を思いつく駅名だったので・・・。