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写真プリント大手のキタムラが全体の1割にあたる約130店舗を閉店とのニュースが話題となっています。デジタルカメラやスマートフォンの普及により写真の現像・プリント需要は年々減少。
多くの写真印刷屋が廃業に追い込まれていた当初、キタムラ株式会社はデジタル化の流れにいち早く対応し、ミニラボの導入やスマートフォンの販売などの新事業にも積極的に参入していました。
しかし、本業である写真プリントは盛り返すことはできず、今年3月末までに81店舗、2018年3月末までに48店舗の計129店舗を閉鎖することとなりました。単独ブランドとしては最大手だったキタムラの閉店騒動が業界に与える影響は決して小さくありません。果たして今後の写真プリント業はどうなるのでしょうか。
1 年々消える近所の写真屋・写真館
デジタルカメラが市場に投入にされ、普及をはじめたのが1990年代後半から2000年代始めです。その後5年も経たないうちにフィルムカメラの売り上げを追い抜き、カメラ市場はデジタル機が中心となりました。
1-1 写真技術はフィルムからデジタルへ
デジタルカメラが普及する以前、カメラといえばフィルムや感光板を使って撮影した銀塩カメラのことを指しました。透明な薄い膜に、感光剤として銀塩※を塗ったものがフィルムと呼ばれ、これが写真を撮影する際の記録媒体となっていました。つまりデジタルカメラでいえばSDカード、スマートフォンでいえば内臓ハードディスクに当たります。
フィルムで撮影した画像を写真として現像するには、特殊な機材と工程が必要となります。現像処理はフィルムが感光しないよう暗室で行い、専用の薬品に浸して現像させ、定着・乾燥などの工程を経て完成します。
一方デジタルカメラでは、記録媒体に保存されたデータからJPEGなどの画像フォーマットに変換するだけで現像できるようになりました。
※
感光用の物質であるハロゲン化銀(塩化銀・臭化銀・ヨウ化銀など)のこと。ハロゲン化銀は光を吸収すると内部の電子が結晶の一部に集合して、感光核を作る性質がある。フィルムにあたった光がハロゲン化銀を化学変化させて、フィルム上に潜像と呼ばれる画像パターンを作る。感光したフィルムを現像液につけると、感光核の周囲が銀粒子に変化して光のあたった部分が黒くなる。これが現像と呼ばれる。(参照:canon)
1-2 フィルム市場の縮小、写真屋の閉店
フィルムカメラからデジタルカメラへ転換するとともに,フィルムの生産量も激減しました。現像・プリントする機会も次第に減り、2000億円ほどあったフィルム市場は10分の1にまで縮小しました。
・現像とフィルム市場の推移
年 |
現像とプリント |
フィルム市場 |
2000 |
5397億円 |
1978億円 |
2001 |
4952億円 |
1806億円 |
2002 |
4280億円 |
1574億円 |
2003 |
3594億円 |
1322億円 |
2004 |
3001億円 |
1096億円 |
2005 |
2200億円 |
798億円 |
2006 |
1593億円 |
603億円 |
2007 |
1141億円 |
445億円 |
2008 |
743億円 |
300億円 |
2009 |
518億円 |
213億円 |
2010 |
363億円 |
157億円 |
(参照:日本大学 経済科学研究所)
・フィルムの生産量の推移
(▲ピーク時300万トン超のフィルムは2012年では半分以下に落ち込む 参照:Otowa Creation)
フィルムの生産量が減少すると同時に、現像や写真プリントなどのサービスを提供していた写真館・写真店も年々減少。2000年の27,000店舗から2010年には約11,400店となりました。また、フィルムカメラ専門店も2000年の約32,500店から2010年に約12,000店と半分以下に落ち込みました。(参照:日本大学 経済科学研究所)
2 経営破綻したコダック、生き残った富士フイルム
012年、フィルムメーカーの象徴的存在だった米イーストマン・コダックが経営破綻したというニュースが当時話題となりました。コダックは全盛期は全米フィルム市場の9割を占め、カメラ市場においても8割以上を支配していた大企業でした。
しかし、2000年頃からデジタル化する流れについていくことができず、2012年の初めに破産法の適用を連邦地裁に申請、実質的に破たんとなりました。
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2-1 明暗が分かれた日米フィルムメーカー
一方、当時日本のフィルム市場でトップシェアを誇っていた富士フイルムは、市場の縮小により一時は苦境に立たせられるもデジタルカメラ事業に上手く転化、さらに液晶技術を生かして他分野事業への積極的な参入を始めました。
また、デジタルカメラ産業が成長するにつれてニコン、キヤノン、オリンパス、ソニーの各メーカーが続々と参入。2001年にはデジタルカメラの出荷台数がフィルムカメラを追い抜き、2007年には1千万台を突破しました。
(参照:日本大学 経済科学研究所)
2-2 攻めの姿勢に入った富士フイルム
ではなぜ富士フイルムはデジタル化の波に対応できて、コダックにはそれができなかったのでしょうか。その理由について当時の日経ビジネスの記事では
「コダックは日本軍と同様に、過去の成功体験への過剰適応があったのではないか。結果として知識破壊企業になった。一方の富士フイルムは、まさに知識創造企業だ。モノづくりを捨てずに、銀塩フィルムで培った技術をベースに新しい事業ドメインを生み出すことができた」
と指摘。さらに
「コダックは米国企業にありがちな特許を売ってしのごうという守りに入り、最終的には経営破綻に陥った。成長戦略ではなく、防御戦略をとったことがコダックの敗因だった」(参照:日経ビジネスオンライン)
と語りました。
3 写真プリント事業は今後どうなる?
この度のカメラのキタムラの閉店はプリント事業の長期低迷によるところが大きいとされています。現代の若者はスマートフォンで写真を撮影することが多く、さらにSNS上で共有するだけで、プリントすること自体少なくなりました。また普段デジタルカメラで撮影する層もパソコンで写真を管理するのがほとんどで、プリントする必要性がないそうです。
キタムラは、かつて「写真屋の延長には未来はない」と言っていただけに写真プリントサービスやフォトブック作成サービスのほか、カメラ・スマートフォンの家電製品の販売も行うなど経営を多角化。しかし、大手家電量販店との価格競争や本業であるプリント事業の両方で苦戦を強いられているのが現状です。
今後は店舗の閉店と人員の再配置でコスト削減に取り組み、また「写真の新たな楽しみ方」を提案する予定であるとしています。写真プリント業界はこの難局を乗り越えることができるのか、注目です。