インターホンを鳴らす幽霊(もの)
激しい雨が降る、真夜中のことだった。
時刻は午前2時。
そんな、思わず踏切に望遠鏡を担いで行ってしまいそうになる深夜に、それは起きた。
ベッドで横になり、雑誌をペラペラめくっているとーー
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
突然、部屋にインターホンの音が鳴り響いた。
それも、なぜかノイズ混じりで。
こないだ宗教のお誘いにきたひとが鳴らしたときは、ちゃんと『ピンポーン』って鳴っていたんだけど、壊れたのかな?
おっと、そんなことより、
「……。こんな時間にいったい誰だよ?」
ぼくはベッドから体を起こし、玄関に向かう。
もしこれが友人なり、もしくは大げさな荷物背負ってきた可愛らしい女の子だったりしたならば、ぼくも諸手を挙げて歓迎したんだろうけど……あいにくと、一人暮らしをしているぼくの家の近くには、そのどちらも存在しない。
終電が終わり、電車の動いていないこんな時間に遊びにくるなど、そもそも不可能なのだ。
「お隣さんが酔っ払って押したのかな?」
隣の部屋に住むおじさんが、酔っ払って通路で寝てるのを何度か見かけたことがある。
自分の部屋の玄関扉の前で、力尽きたように倒れこみ、スピスピと気持ちよさそうに寝てるのだ。
大方、自分の部屋と間違えてぼくの部屋のインターホンでも鳴らしちゃったのだろう。
ぼくはそう考え、興味半分、イラつき半分で玄関扉のドアスコープを覗きこむ。
「誰も……いない?」
覗きこんだ先には、誰もいなかった。
いつもの場所に、ぼくの自転車が置いてあるだけ。
こんな深夜にピンポンダッシュか?
イタズラとか、まじファッキン!
ちょっとだけイラついたぼくが、ドアスコープから顔をあげようとした、その瞬間――
『ピィィン……ポボボ……ンンン……ン……』
再び、ノイズ混じりのインターホンが鳴った。
この時のぼくは、まだドアスコープを覗きこんだまま。
ドアスコープから見える扉の向こうには、誰も……誰もいやしない。
「……は?いや、ちょっと待ってくれよ……こ、これって……」
『ピィィン……ポボボ……ンンン……。ピィィン……ポボボ……ンンン……』
まるで、ドアスコープを覗くぼくに「開けてくれ」とでも言うかのように、ノイズ混じりのインターホンは鳴り続けた。
「ヒィッ――」
悲鳴をあげそうになった口を手で押さえ、そのままベッドに緊急退避。
そして頭から布団を被る。
「か、勘弁してくれよ……」
『ピィン……ポボボ……ンンン……』
ぼくは布団の中で膝を抱えこむ。
体はいま起きている出来事に震えっぱなしだ。
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
それでも鳴り続けるノイズ混じりのインターホン。
誰が押しているかなんて、もう考えたくもなかった。
翌朝、湿った空気が体にまとわりつくなか、ぼくは恐る恐る玄関扉を開けた。
もちろん、扉の前には誰もいない。
「…………ポチッとな」
誰もいないことを確認したぼくは、自分でインターホンのボタンを押してみる。
『ピンポーン♫』
「……。もっかいボチッと」
『ピンポーン♫』
「…………」
インターホンは当たり前のように当たり前の音を奏でる。
ノイズなんて、どこにも混ざっていやしない。
たぶん、昨夜のことは故障だったんだろう。
きっと、何かがアレしてコレした結果、インターホンが故障してたまたま鳴っちゃっただけなんだろう。
それで、ほんとーにたまたま、ノイズが混ざっていただけに違いない。
うん、そうだ。絶対そうだ。そうに決まってる。
昨夜の出来事が自己解決したぼくは、そのままコンビニに朝食を買いに行った。
この時のぼくは、もっと深く考えるべきだったのだ。
昨夜の出来事が、まだはじまりに過ぎなかったんだって。
その日の夜、あまり物事を深く考えないぼくは、昨夜の出来事をすっかり忘れていた。
ひょっとしたら思い出したくなかっただけかもしれないけど、とにかく、この時のぼくはインターホンのらことなんか、すっかり忘れていたのだ。
「さーて、もう遅い時間だし、そろそろ寝ーー」
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
「ッ!?」
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
「な、な……そんな……ウソだろ……また、なのか? まだ終わっちゃいないってのか!?」
『ピィン……ポボボ……ンンン……』
「やめてくれ……やめてくれ。誰か……」
時刻は午前2時。
ぼくは昨日と同じように頭から布団をかぶり、ただ震えることしかできずにいた。
この悪夢のような出来事がはやく過ぎ去りますように、と祈りながら。
でも、ノイズ混じりのインターホンは、次の日も、その次の日も、決まって同じ時間に鳴り響くのだった。
悪夢は、幕を開けたのだ。
少し話から逸れてしまうが、人間という生き物は、環境に適応して生きてきた。
困難な環境に順応し、適応していく。
ぼくだって例外ではない。
この悪夢のような出来事にも、ぼくははやくも適応してみせた。
つまり、はやい話がこの異常な事態に慣れてしまったのだった。
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
「お、もうそんな時間か」
ノイズ混じりのインターホンが鳴り始めてから、はや6日。
最初はビビっていたぼくだけど、いまではすっかり定時のアラーム感覚だ。
「そろそろ寝るかな」
いくらノイズ混じりのインターホンが鳴っていても、いまではスヤスヤとベッドで眠ることができる。
人間の適応能力ってすごいね。
「おっと、明日は燃えるゴミの日か。忘れないうち出しとかないと」
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
「えーと、ゴミ箱ゴミ箱っと」
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
「生ゴミもひとつにまとめて」
『ピィィン……ポボボ……ンンン……』
「キツく結んで……おっし! オッケー。さっさと捨てちゃおう」
ノイズ混じりのインターホンをBGMがわりにしたぼくは、玄関を開けてゴミを出す。
うちの近所は収集時間が早いため、いつも深夜に出すのが当たり前になっていた。
「ふい〜。これであとは寝るだけだな」
本日最後のミッションを終えたぼくは、そのままベッドにダイブする。
「おやすみー」
眠りに誘われようとした、その時だった。
(あ、あれ? 体が動かない?)
突如、ぼくを金縛りが襲った。
(な、なんで金縛りに……あっ!!)
考えてみれば、当たり前のことだ。
あの、ノイズ混じりのインターホンは、『誰か』がずっと押していたから鳴っていたのだ。
つまり――
『部屋にいれて』
と。
バカなぼくは、そのインターホンをアラーム代わりにし、あまつさえゴミを出すなんてどうでもいい理由のために開けてしまったのだ。
インターホンを押していた側からすれば、部屋に招き入れられたようなものじゃないか。
ぼくのバカ! いくじなし!
(どこだ……?どこにいる?)
唯一動く目を動かして、招かざるものを探し……いた!
場所は右隣。
ぼくの右手首を、青白い右手首が掴んでいる!
体は見えず、ただ、手首から先だけが見えていた。
(て、手首だけとか……。新しいパターンじゃないですか。でも――)
ぼくは丹田に意識を集め、そのまま
(出て行け!)
と強く念じる。
想いは届き、手首ちゃんは何処かへと旅立っていった。
こうして、ぼくは数日にわたって鳴り響いていたノイズ混じりのインターホンから解放されたのだった。
ノイズ混じりのインターホンが鳴っても、決して玄関を開けてはいけない。
そんな、今後の人生で役に立つかわからない教訓をぼくは得たのだった。