そういえば、大坂城って夏の陣以降(真田丸最終回)「徳川幕府」により、新政府への明け渡し時焼き払ったりして、豊臣の大坂城を埋め新しく築城されたのが現天守というのは知っていても、その豊臣大坂城の石垣が、地中不覚現存していたのは知らなかった(;-ω-)ゞ
ちなみに、発掘は順調に進んでいる様で現在工事中です・・・
でもって、先日某局での「ぶらタモリ真田丸SP」で保管管理中の映像が放映されてました^^;
その場所は、現天守を見上げるお庭に土管と鉄板の蓋で厳重(?)に施錠されているココで観られます♪
尚、徳川に攻め込まれ最後迄討ち迎え戦没した家臣と、焼け落ちる炎上した大坂城を観自刃した「秀頼」と「茶々(淀殿)」は、山里丸曲輪(やまさとまるくるわ)の現場に大坂城を見上げる形で、「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」が奉られています・・・
某局の「真田丸」もいよいよ「徳川」が攻め込んでくる様で目が離せないラスト5回となっています(;-ω-)ゞ